遊びながら学ぶって何?
なぜ「めぐみと森のようちえん」を始めたか。
軽くまとめれば数分ですが、きちんと話せば数時間、いや1日になる程の内容(笑)
少し深めたいと思います。
Vol1に少しだけ書きましたが
子どもたちはただ遊んでいるわけでなく、「遊び」ながら多くのことを学んでいるのです。
めぐみと森のようちえんでは自分たちで創り出す「あそび・くらし」を大切にしています。
特に「あそび」の中でも
遊ぶプロセスに没入して
心が動くこと・夢中になること
の 「遊び込む」ということを大切にしています。
親子イベントの参加者の方から
「公園で遊ぶ時とは違い、何をしようか考えて動いている子どもたちの姿が印象的でした!」
と感想をいただきました。
▲秘密基地を警察署に見立てて遊ぶふたり。その横でロープを結んでは解く「遊び」に夢中な様子
何かと「間」「余白」を埋めがちな日常ですが、
子どもたちは「間」「余白」こそが大好物。
最初、森に入った時、戸惑って立ち止まっているように見えますが、
実は身の周りを観察しています。
「何があるのかな」から
「どうやって遊ぼう」へ
シフトしていくのですが、その過程でいろんなことを感じ、考えます。
木の枝に興味があれば
●木の枝の長さ/肌触り/それが剣なのか魔法の杖なのか、はたまたetc・・
▲踏切に変身した木の棒(横たわる木材は線路)
葉っぱに興味があれば
●葉っぱの形/大きさ/色/肌触りetc・・
▲葉っぱは焼き鳥の具材に(木の枝が串・茶色い葉っぱが鶏肉、緑の葉っぱはネギにw)
虫に興味があれば
●目の前の虫がどんな形・色なのか/感触/虫がいるところはどこか/どう捕まえるかetc・・
▲身近に命を感じらえる機会。蟻の巣を掘り返すなどの殺生も大切な学びの要素と考えています。
▲雨の日の泥遊び。実はピザ屋さん。手前は生地作り、奥はトッピングと自然に担当分けまで。
土・泥遊びであれば、
ただただこねているように見える姿も
<変化を予測する→確かめる→実験する>
というサイクルが生まれています。
「硬いな〜」「柔らかいな〜」「ピザ生地みたいな円形にするにはどうしたら・・・」
「そうや水を少なくしよう!」
これはもはや、科学者的視点。
教材など使わずとも、科学的視点をコドモたちは遊びに取り入れているのです。
“遊び”こそ”学び”
これは多くの教育研究の中で証明されていることです。
ちなみに、より多く遊び込む経験をした子どもの方が「学びに向かう力」が高いとの結果が出ています。
(2016年ベネッセ教育総合研究所実施「園での経験と幼児の成長に関する調査」より)
加えて”枝”や”葉っぱ”といった「道具の取り合い」が生じます。
森には腐る程ある”枝”や”葉っぱ”への「これじゃなきゃ!」という想い(笑)
そこで”借りる””譲る”の「社会性」「思いやり」を学ぶ機会にもなります。
写真は森で見つけた野いちごを分ける様子。
大人は口出しせず、近すぎず、遠すぎずの距離で見守ります。
すると子どもたち同士の議論で「順番に一つずつ配る」という納得解を見つけ出しました。
「0から1を生み出す」経験
「意見を交わして、納得解を見つける」経験
が教育現場に少なすぎやしませんか??
(逆に「0から1を生み出す"風"」「納得解"風"」のコトも多いような印象もあります。。)
その割に
いわゆる社会に出た途端に
「自分の頭で考えろ!」
というのは酷ではありませんか?
会社組織で
「指示待ち人間ばかり」
「自分の頭で考えない」
「最近の若い奴は・・」
と愚痴る姿良く見聞きします。
(教育現場でも・・)
その根っこは教育現場にあるのでは。
と私たちは思うのです。
(ひろ)
参考文献:あそびの森 vol.52
0コメント